藤原 昭夫 インタビュー

普遍的で美しく、環境負荷が少なく省エネで融通性があって堅固な建築を。

株式会社 結設計 代表取締役 藤原 昭夫

海外各地の建築と住居を見て培われた人格


21歳の学生の頃でした。旅行資金として左官屋のバイトで30万円くらい貯め、バックパッカーとして計1年間ほど、ロシア、欧州、中近東、アフガニスタン、インド、東南アジア等を巡り歩きました。イギリスではサンドイッチ作りのバイトで10万円程、クウェートで真水を作る、東芝のプラント工事の現場の溶接等のバイトで、宿舎に寝泊まりさせてもらい、やはり10万円ほど稼ぎました。
 旅行中は、その土地の民家によく居候させてもらいました。当時、日本人というと物珍しかったのでしょう。お互い片言の英語でしたが、色々と興味深く話ができました。このときにいろいろな境遇の方と接しました。貧しい家の方や、ノルウェーの俳優の方など色々な方のお世話になりました。能や歌舞伎を知っているのか、などとも聞かれもしました。その経験のせいか、どんな方の家に招かれても物怖じしないようになりました。これは今も活きています。
 
ショッキングだったのが、ちょうど「プラハの春」から間もない頃のことで、電車に乗っていたら線路脇をソ連の戦車がバンバン通って行くんです。偽装結婚をしてでも国外に行こうとする若いチェコ人もいたりするような状態など、政治が落とす暗い影響力を肌で感じることもありましたね。
 またスイスでは、僅かばかりのお金を出し惜しみして、行ってみたかったユングフラオヨッホに行きませんでした。登山電車に1日分の食費がかかるしまた来るだろうから良いやと。しかしこれは未だに後悔していますね。そのよう時はもう二度と来ないのです。その経験もあってか、何が大切なことかというのを学んだ気がします。お金で買えない機会や行為がいっぱいあるんだと、後からひしひしと思いました。








思いのままに動いた勤務時代


ボーリング場の設計補助等の勤務時代、工務店の社長さんが自宅を作るということで、その事務所に話がありました。担当を指示されたわけでもないのに、土日に勝手に模型なんか作って所長に見せたら、面白いとなりました。それをきっかけに、住宅の設計に魅かれるようになりました。
 もともとあんまり独立する気はなかったんです。だけど、食卓の天板の厚みを25mmか30mmにするかなど、細かいことを気にする仕事をしていて、その意味がまだわからず仕事に疑問を抱いていたことは確かでした。たまたま担当仕事が途切れたタイミングで、給料はいらないから1ヶ月休みが欲しいと頼み、九州の南で自給自足で暮らしている人たちがいるという諏訪之瀬島に行きました。そこでは、今日は板切れを水場の近くに集めてキッチン作りだ、とか、その辺の板を大きな木の下に並べてこれで食卓だ、なんてやっているのを見て、ついこの前までやっていた25mmと30mmの差を吟味する食卓作りとの差は何だろう。何の価値があるのだろうと思えて。こっちの方が木漏れ日の下ですごく気持ちいいじゃないかって。まだ状況の価値と設計の価値の違いを知らなかったんですね。島から戻ってしばらくは勤めを続けていましたが、退職しました。

それから知り合いのコンペの手伝いをしたりしている時、仲間達と別荘を作ろうとなりました。土地を探して、千葉の先の鹿島の方から静岡の沼津まで、屋根のないジープで海岸をずっと走り続け、西伊豆の小土肥と言う所で、地元のペンションの人に働けるところを聞きました。たまたま現場監督を募集していた、天城建設というところで働きはじめました。そこでは施工会社の監督をしました。現場では、下手な設計に対する、施工者の不満をよく聞きました。「何でこんな風にするんだ、こうした方がよっぽど良いじゃないか」というのを聞いて、現場の職人の想いを痛いほど知らされましたね。

その間、日曜日ごとに別荘の土地を探していました。絶景の場所を何とか見つけて、道路に面した山林の一部、45坪だけを譲って頂きました。コンクリートの躯体工事だけを、勤めていた会社の仕事として発注し、自分が現場監督をして建て、内部は仲間たちのDIYで、全員独身で本宅もないのに皆で15万円ずつ出し合い300万円で25坪の別荘を建てました。

現場で施工者として監督をしていると、まずい設計の後始末をよくさせられます。こんな建築にするのだったら、まだ自分の設計の方が良いのではと思い、都内に戻ってプラントを主にやっている設計事務所に入りました。そこで香港の競艇場と、隣接するホテルの計画プロジェクトを担当させられました。やったことがなかったけど、やるしかない。結婚前後でしたが、そのためデートは競艇場巡りをして歩きました。過去の競艇場の建築確認申請を写真に撮って、それを参考にどうにか計画して、何とか提出できました。
海外の仕事が多かったんですが、中近東の共同住宅を作るという計画もやりました。気候上、窓は北側に作るっていうのが新鮮でしたね。それに意外だったのが、入手可能な材料は何か、輸送はどうする、といったことから設計を始めないといけない。中近東ならではですね。





偶然が重なった独立


それからしばらくして、高校の同級生が、家の設計をしてくれないかと聞いてきました。やり始めると、これは、プラントの設計事務所を辞めちゃった方がこっちに集中できるなと思い退職しました。結婚3ヶ月前に就職し、3ヶ月後に退職でしたから、カミさんにとっては結婚詐欺に近いかも知れませんね。
それで家で作業していましたが、たまたま鼻の調子が悪くて耳鼻科に行きました。昼間に若い男一人で診察に来るのが珍しかったのか、「何の仕事」と聞かれて。「いや、設計屋です」と言ったら、「上総一ノ宮の方に土地があるから、別荘作ろうと思っているんだけど」と言われました。それで「良いですよ、計画しましょう」って、話がトントンと進みました。その方にはそのあと、アパートや別の別荘も建てさせてもらいました。

その後、その流れのまま、独立するという意識がないまま、結果として、成り行きで独立という形になりましたね。仕事はなかったんですが、不思議なことに、ポツポツと繋がっていきましたね。
初期のある時、仕事がないので、木材のサンプルを集めようと、新木場の木材屋さん巡りをして64種類のサンプルを作り、建築知識の読書欄に案内を出したら、予想以上の人から申し込みがあり、おかげでしばらくの生活費になりました。そんなことで食いしのいでいました。
よく独立したてで仕事がないと、工務店の確認申請だけやります、みたいな下請け仕事をやるんですが、そういったことはしないで済みました。








設計作法を提唱


話すと長くなるのですが、こういったことをお互いが確認・自覚していれば、家づくりを進めて行く中で、誤解や認識のズレというものが少なく済み、結果的に良い家ができると思います。

(以下引用)
「設計者には本来、依頼者に要求されなくても、その設計者なりに“建築(住宅)はこのような場合はこう考え、こう処置すべき”という自分を縛っているものがあります。それは法的拘束の範囲外のことなので設計者によってかなり異なっています。その違い、もしくは軽重のかけ方の差が設計者の個性というか味の違いであり、設計者を決める際の重要なファクターになろうかと思います。ここでは、私たちが設計作法として自己に課している事項の中の、計画概要に関連した事項の一部を、当たり前のことも含め、無作為に挙げてみます。選択の参考にして下さい。」

【コミュニケーションでは】
「設計の依頼では言葉で表現しきれない要望や切実性が潜んでいることが多く、その意を汲み取り損なわないように努めなければならない。そのために依頼者の意向は出来るだけ、誰かを通してではなく、本人から直接伺うようにする。
私たちの提案には一つ一つ理由があり、機能性・美しさ・構造・性能・融通性・費用対効果・作業性・空間の豊さ・防犯・コスト等、微妙なバランスの上に成り立っていることを自覚する。建築主からの変更や追加要望も、その奥にある本質を正しく把握し、その実現でも、小さな満足のためにバランスに歪みが生じないようにする。」
(他多数あり、引用終わり)

設計は、私自身も思い入れというか、楽しんでやってますので、引き渡しの時に「あぁこれで、この家も自分の家じゃなくなるんだ」って思いますね





安心のメンテナンスと工法開発


基本的に1ヶ月と1年点検は原則としています。
1ヶ月点検時に問題があればしっかりメンテナンスの提案をします。家って作って終わりじゃないですから。住んでみると多少なりとも何かあります。引き渡し時に、重箱の隅を突つくよう検査をしても、疲労感しか残らないでしょう。だったら1ヶ月使う中で不具合を洗い出せば良い、ということを前提に建主の竣工検査は進めていただきます。

工法にも力を入れていますね。

躯体の工法としてFSU工法を進めています。環境にも優しく、施工の手間も省けるものです。







どういうことかと言いますと、柱と同角材を立て並べ、ボルトで束ねて900㎜幅の壁パネルとし、柱間に挿入して一体の壁とさせるものです。耐震強度的にも十分確保できますし、ボードを張る必要もなく、躯体だけで準耐火構造壁の基準をクリアした国交相の認定を取得しています。現場では組み立てるだけで木造スケルトン建築が出来上がり、良いことばかりです。躯体だけなら数日でできます。今のところコスト的には、職人さんの手間が減って下がるコストと、材料使用量の増大分のコストとは同じくらいですね。

FSU工法について





事務所の雰囲気も良いですね。

ありがたいことに、みんなよく働いてくれます。現在、スタッフが4名いますが、中には20年働いてくれている者もいます。小さい子供を持つ女性スタッフは、家で仕事しながら頑張っています。いろんな働き方がありますが、これからも、皆さんの住宅や建物を建てるお役に立てられれば嬉しいです。







藤原 昭夫
株式会社 結設計 代表取締役
住所:〒103-0022
   東京都中央区日本橋掘留町2-5-7   クレストフォルム日本橋1005号
TEL:03-5651-1931

詳しいプロフィール
【編集後記】

暖かい日差しのせいか、ずいぶんいろんなお話をして頂きました。材木屋のせがれとして育った幼少期の頃やFSU工法の発想の原点など多岐に渡りました。今はコロナウイルスのせいもあり、リモートで仕事をこなしているとのこと。こちらを心配して頂ける優しさが身に沁みました。

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